思想 日常

時計

僕は腕時計が大好きだ。

自然とコレクションが増えていってしまう。

小学5年生のときに両親にGショックをプレゼントしてもらい、
当時通っていたスクールの友達や先生に見せびらかして羨ましがられて以来、
腕時計は僕のなかでお気に入りのアイテムとなった。

最近手に入れたのはSEIKOの電波時計だった。
寸分たがわず 時を刻むGPS機能つき電波時計。

綺麗な青い文字盤に シンプルなベゼル。
全素材チタンであることに加え、無機質で質素で無骨な形のそれに吸い寄せられた。

伊勢丹の時計コーナーでそいつをじっと見つめていると

「よろしければお試しになられますか?」

「はい。」

試してすぐに

「これいただいてもいいですか?」

自分の腕にすんなりとなじむその見てくれに愛らしさを感じた。
一目惚れをしたら手に入れたくなってしまうのだ。

電池交換もいらない。
どの国にいこうが時刻修正も必要ない。
常に正しい時を告げてくれる。

それからしばらくしてからだった。
母方の祖母が逝去した。
僕の唯一のおばあちゃん、戦争を乗り越え、めまぐるしい変化を遂げる日本を生き抜いた女性だった。

母は小学2年生のときに父親を亡くしている。
某新聞社の編集長としてつとめていた彼は、今では簡単に治療できる肝臓がんで他界した。
戦地に赴き自ら写真を撮り続けるカメラマンでもあった彼はその無理がたたり身体を壊したのであった。

いつもの授業中、母の教室にがらりと校長先生が入ってきた。
「フミコちゃん、ちょっといらっしゃい。」
手をひかれるまま連れて行かれたのは都内でも有数の病院だった。

長い廊下に、ずらりと親族や見たことのない人々が、皆同じように伏せ目がちにうつむいていたという。
この時点で母は悟った。
ゆっくりと病室に入ると変わらぬ父がいた。

「フミコ、どうした?」
優しい笑顔とともにゆっくりと母の頭を抱き寄せる。

「フミコ、どうして泣いているんだ。」
知らぬうちに頬を涙がつーっと撫でた。

それが最期だった。

49日法要が終わり最初の盆に 、それはそれは距離の長い迎え火を焚いたそうだ。
母は祖母に手をひかれ、きゃっきゃとその迎え道を歩いていた。
お祭りのように一定の間隔で置かれている迎え火は、ゆらゆらゆれ、なんとも言えない幻想的な雰囲気を醸し出していたという。
ふと母が祖母の手を離す。

「フミコどうしたの?」
「だってそこにパパがいるよ。」

不自然にあいた二人の間には、なるほど、大人の男ひとりが収まるような空間があった。

結局、理解できていなかったのだ。
幼き心は死という現実を受け止めていなかった。
いや、受け止めがたかったというほうが正確か。

毎日遅くに帰宅し、ときには長期間出張であえない父、すぐにまた帰ってくるとずっと信じていたのだ。

それから60年の歳月がたつ。
祖母が逝去した。
享年99歳。

僕は初めて人の死と向き合った。

限られた身内で湯灌を行い、火葬されるとき、母は泣き崩れた。
「一緒にいく!」
と、お棺とともに焼却炉に飛びこみそうになる母を抑えるのに、 こんなに力がいるのかと思った。

火葬自体はひどく簡素に終わった。
煙が昇るわけでもなく、すぐにお骨となった。
作業だ、と思った。
納骨式が終わる。
長い一日だった。

家に帰ると母はケが落ちたような顔をしていた。
その右手には、祖母が長年大事に使っていたぼろぼろの腕時計が握られていた。
ブランドものでもない、なんてことのないアナログ時計だった。

「・・・やっぱりこの時計もいずれ止まっちゃうのかな。」

主を失った今も時を刻みつづけるそれはひどく寂しくうつった。

「その時計はね、止まることで安らぎを得るよ。それまでは全身全霊で動き続ける。」

どんな時計でもかならず正確な時とはズレが生じる。
動き続けるかぎりその呪縛から逃れることができない。
だが、止まった時計は必ず一日二回、それが形而上学的な刹那の瞬間だとしても、正確な時を刻む。
時計は止まることで初めて本来の目的を達成する。

いま僕はSEIKOのソーラー電波時計を身につけている。
寸分たがわず時を刻み続ける時計。
こいつは。
こいつは僕が死んだあとも時を刻み続ける。
ずっとその務めを果たし続けるために。
その果てしない無限の回廊を想像するとめまいがした。

僕はいつかこの時計を捨てる。

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